2005年07月18日

自分嫌いな子どもたち

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050718-00000000-san-soci
産経新聞より。

私も自分のことすきじゃないけれども、これは多いだろ。。。

何が間違ってるんだろう??
子どもたちを憂います。

私も学校は息苦しかったな。。。
posted by aico at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

保護アイランド経験ってありますか?(毎日新聞より)

余録:「幼児期が幸福であれば、大人になっての…
 「幼児期が幸福であれば、大人になっての逆境に耐えられる」という。だが現実にはさまざまな事情で不幸な幼年期を送る子供は多い。では、そんな子は一生、幼年期の心の傷から逃れられないのか。むろんそんなことはない▲U・ヌーバー著「<傷つきやすい子ども>という神話」(岩波現代文庫)は、子供時代が人生を決めるという現代の“子ども時代教”を批判した本だ。子供たちは運命のマイナスをプラスにできる可能性に満ちた存在だというのがその主張である▲とはいえ昨今の胸のつぶれるような児童虐待を聞けば、どうしても子供らの心がその後たどる癒やしの道の険しさに思いが向かう。ヌーバーさんの本によると、そんな子供たちにとって、心の支えとなるような人の優しさや励ましに触れる体験を「保護アイランド経験」というのだそうだ▲芥川賞受賞が決まった中村文則さんの小説「土の中の子供」は、親に捨てられ、親類のすさまじい虐待を受けて育ち、不安定な内面を抱えたタクシー運転手の話だった。その主人公が過去の克服へと向かう結末で、子供時代のエピソードが語られる▲預けられた施設で、すねた主人公が善意の支援者の慰問行事を台無しにしそうになった時のことだ。それまでの体験で殴られるものと思っていた主人公の頭を職員の一人が笑ってなでてくれた。今は27歳の主人公は職員に改めてその時の礼を述べ、新たな暮らしへと踏み出していく▲むろんフィクションだが、悲惨な体験しか知らなかった主人公にとっての「保護アイランド経験」だろう。それが人生の扉を開くカギになる。ささいなことでも、子供の心には希望の灯をともすことができるのだ。そんな希望の「島」を連ねて子供らを守れたらと思う。

毎日新聞 2005年7月16日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/news/
20050716ddm001070121000c.html


毎日新聞の余禄より。
なんだか、興味ある記事だったので。
「傷つきやすい子どもという神話」は読んでみたいです。
子ども時代の傷を乗り越えることができるっていうのは心強いことだよね。

私にも「保護アイランド体験」があるような気がする。
それは、ボランティアでであった人たちだ。

「人間って優しいものなんだな。
思いやりに満ちたものなんだな」ってことを
この時、私は肌で感じたから。
この体験は、私を救ってくれた。

私も誰かに、こういう体験をあげれる人になりたい。
それはとてもつよく思います。
posted by aico at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月15日

アダルト・チルドレンの10年 斉藤学

第17回 アダルト・チルドレンの10年 精神科医・斎藤学
(MSN-Mainichi INTERACTIVE こころの世紀)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/
news/20050602org00m100061000c.html

AC(アダルト・チルドレン)という言葉が日本で飛び交うようになったのは、阪神淡路大震災や、オウム真理教関連の事件があった1995年だった。翌年には朝日新聞の「今年の言葉」なるものにも選ばれたそうだ。つまり、この言葉の持つ力に惹(ひ)かれる人々が日本にもたくさんいたということだ。



ACという言葉が出てきたのは95年あたりだったんですね。

この母親は夫の世話にかかずらって子どもを無視するかも知れないし、夫に絶望して子どもの世話焼きに没頭するだろう。言うまでもなく、日本の社会では、後者のような母親が多い。こうした母親は子どもを生き甲斐にし、自らの期待によって縛る。この縛りから抜け出ようとすれば、子どもは非行や引きこもりなどの「期待はずれ」を演じなければならないし、縛りに甘んじれば、自己の欲望の所在さえわからないロボット人間(AC)と化す。このように考えてくると、これはもうアルコール依存などのローカルな問題ではなくなってくる。


そーなんだよね。激しく同感しました。この記事に。

今の私もそう。
親やまわりの期待に沿わない生き方をすれば、「あたまのおかしい奴」と言われ、
その屈辱に耐えつつ、「期待をかなえれなかった自分に罪悪感を持ちつつ生きる」

そして、親やまわりの言うことに従えば、
自分が何をしたかったのかさえわからないロボットになる。

まさに今の私だ。

屈辱と罪悪感。そして、自分がどこへ行きたいのか、よくわからない。
行きたいところがあっても行く気力もないという。

家族。ってもっといいものなはずだよねえ???

なんか悲しいよ。泣けてくる。
posted by aico at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

両親を殺した15歳の少年と私。

母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050713-00000006-yom-soci

 東京都板橋区の建設会社社員寮で先月20日、高校1年の少年(15)が両親を殺害し、部屋をガス爆発させた事件で、亡くなった母親(42)が少年のために内証で約20万円の預金をしていたことが12日、警視庁高島平署特捜本部の調べで分かった。

 少年は、両親から十分な愛情を受けていないという「思いこみ」から犯行に及んでいた。特捜本部では少年心理に詳しい専門官とともに、凶行に至るまでの心の変遷の解明を進めている。(2005年7月13日読売新聞)


この記事の15歳の少年の気持ちは、なんだかわかる気がする。
私も親の仕事が忙しくて、いろんなことを親にあきらめてきたから。
家事もやってきたよ。
でも、殺すまでは行かなかったな。


少年は「ディズニーランドに連れて行ってほしかった」とか、
「海に連れて行ってもらったとき、一人で遊んだので楽しくなかった」などという発言がある。
これは、香山さんの「生きづらい<私>たち」の中にあったんだけれども、
最近の子は、傷とも思えないことで傷ついてしまう。
傷つくセンサーが敏感になっているというのがあった。
それから、昔は虐待されたとか、親に何かされた。という訴えが多かったけれども、
最近では、この少年のように、「○○されたかったけれども、それがなかった」
という訴えが多いそうだ。

親にされたことよりもされなかったことに対する訴えが多いんだってさ。

うーん。なんでだろうね。
ひとつは、モノ豊かな時代になったからかなと思った。

昔はおもちゃとか買ってもらえなかったり、
どこかに連れて行ってもらえなくても、そういう子も多かったのかもしれないけれども、

まわりがみんなおもちゃを持ってたり、
どこか遊びに行ってたりすると、自分だけどこにもいけないのとかつらいよね。
だから、親よりもずっとそのことが精神的苦痛になるのかなって思った。

うーん。でもそれで殺されたりしたら、困るな。。。
モノや旅行=幸せではないと私は思うけれども。。。

なんとも、仕事が忙しい両親を持った彼を私は他人とは思えないのでした。
posted by aico at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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