2005年07月11日

望まれない子の話。

誰もが「私は望まれて生まれてきた」って信じたいはず。
でもね、どうやら私は違ったらしい。

それはある時、私が父と母に高齢出産の為、
障害を持った子どもが生まれた人のブログをみたんだ。という話をした時のこと。

話は私ができた時のことになった。
そのとき、父がぼろっと

あの時、お母さんに「私はもっと遊びたかった」って責められてなあ・・・

と言ったのだ。

どういうことだ???
私ができた時、そこにあったのは、祝福ではなく
母は父を責めたというのだ。私は子どもはまだいらなかったと。

そうだったのか。

ずっと、夫婦がののしりあう姿を見てきたが、私が生まれる前からだったとは・・・

なんとなく、なぜ、私が虐待を受けたわけでもなく、
両親ともに元気で、経済的にも困らない生活をしているのに
ACっぽいのかわかった気がする。やっぱり結果には原因があるのですね。

私は、母が結婚してまもなくできた子だ。
まだ貧乏で、職場も変わったところで母は働く気満々な時だ。
私は予想外にできた子だったということ。

だから、家庭にも無理がでてくる。だからいらだちが家庭の中にたまっていく。
その無理が私に、きていたのだと思う。

できれば、子どもは望んで産んでほしいと思う。
できちゃった結婚ももちろん、できれば避けてほしいし
結婚してからも、夫婦で子どものことはちゃんと話合ってほしいと思う。
逆に子どもがほしいのにできない夫婦もけっこうあるそうだから
難しいところだとも思うけれどもね。
「望まないなら避妊はしよう」といいたいです。

それにしても、
仏教では「子どもは親を選んで生まれてくる、つまり縁があって生まれてくる」そうだ。
もし、私がこの両親を選んだのなら、そうまでして生まれたかった理由があったかな?
この世に、すべきことがあったのか。会いたい人がいたのか。

生まれる前から喧嘩してたのであれば、
この家庭の生育環境は悪いに決まってるってわかってただろう。
それでもこの家庭に生まれることを願った私はかなりのチャレンジャーだ。
その勇気を、そして、この命を無駄にはしてはいけないと思う。
きっと、何か、意味があると信じたい。
待ってる人がいるのだと信じたい。
posted by aico at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 家庭・家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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