2005年07月15日

アダルト・チルドレンの10年 斉藤学

第17回 アダルト・チルドレンの10年 精神科医・斎藤学
(MSN-Mainichi INTERACTIVE こころの世紀)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/
news/20050602org00m100061000c.html

AC(アダルト・チルドレン)という言葉が日本で飛び交うようになったのは、阪神淡路大震災や、オウム真理教関連の事件があった1995年だった。翌年には朝日新聞の「今年の言葉」なるものにも選ばれたそうだ。つまり、この言葉の持つ力に惹(ひ)かれる人々が日本にもたくさんいたということだ。



ACという言葉が出てきたのは95年あたりだったんですね。

この母親は夫の世話にかかずらって子どもを無視するかも知れないし、夫に絶望して子どもの世話焼きに没頭するだろう。言うまでもなく、日本の社会では、後者のような母親が多い。こうした母親は子どもを生き甲斐にし、自らの期待によって縛る。この縛りから抜け出ようとすれば、子どもは非行や引きこもりなどの「期待はずれ」を演じなければならないし、縛りに甘んじれば、自己の欲望の所在さえわからないロボット人間(AC)と化す。このように考えてくると、これはもうアルコール依存などのローカルな問題ではなくなってくる。


そーなんだよね。激しく同感しました。この記事に。

今の私もそう。
親やまわりの期待に沿わない生き方をすれば、「あたまのおかしい奴」と言われ、
その屈辱に耐えつつ、「期待をかなえれなかった自分に罪悪感を持ちつつ生きる」

そして、親やまわりの言うことに従えば、
自分が何をしたかったのかさえわからないロボットになる。

まさに今の私だ。

屈辱と罪悪感。そして、自分がどこへ行きたいのか、よくわからない。
行きたいところがあっても行く気力もないという。

家族。ってもっといいものなはずだよねえ???

なんか悲しいよ。泣けてくる。
posted by aico at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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