2005年07月15日

いまここを幸せに生きたいよ。

私の幸せはいつも過去の中にある。
あとになって、失ってから、幸せだったって思う事が多い。
後悔と未練ばかりで。
それも、その後悔を産んだ選択は「将来幸せになる為に」決めた事だ。それなのに、やりたい事我慢したから余計にストレスたまって病む。もちろん幸せはない。
今、ここで幸せになっていきたいのに。
過去に幸せがある。おまけに今を将来の為に犠牲にして、そこまでしたのに将来の先には幸せになってない現実がある。おかしいぞ?
私の生きる姿勢に問題ありなのか?
視点がいつも過去に向いてるから?
今を将来の為に犠牲にしてるからか?
私の幸せはいつも過ぎた過去にあり、未来は不安に覆われて暗い。その暗さに「今」がくいつくされる。
なんなんだよ?これは。なんかおかしいぞ?
posted by aico at 04:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お金がナイ!!

忘れてたけれども、今の私はお金がナイ!!

何しろ職業もなくニートですから。。。

今日の帰りの電車賃も、今彼に出してもらったのですふらふら
これって最悪だよね。。。

自立しなくちゃ。。。
お金稼がなくちゃ。。。

活動資金がないと人間ってよけい憂鬱になるね。。。
食費も削ってたら、とうとう体重も中学生のころに戻りましたもうやだ〜(悲しい顔)

こんなんじゃ、人と付き合う資格ないよふらふら

今の立場も、状況も脱出しなくちゃexclamationexclamation
posted by aico at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アダルト・チルドレンの10年 斉藤学

第17回 アダルト・チルドレンの10年 精神科医・斎藤学
(MSN-Mainichi INTERACTIVE こころの世紀)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/century/
news/20050602org00m100061000c.html

AC(アダルト・チルドレン)という言葉が日本で飛び交うようになったのは、阪神淡路大震災や、オウム真理教関連の事件があった1995年だった。翌年には朝日新聞の「今年の言葉」なるものにも選ばれたそうだ。つまり、この言葉の持つ力に惹(ひ)かれる人々が日本にもたくさんいたということだ。



ACという言葉が出てきたのは95年あたりだったんですね。

この母親は夫の世話にかかずらって子どもを無視するかも知れないし、夫に絶望して子どもの世話焼きに没頭するだろう。言うまでもなく、日本の社会では、後者のような母親が多い。こうした母親は子どもを生き甲斐にし、自らの期待によって縛る。この縛りから抜け出ようとすれば、子どもは非行や引きこもりなどの「期待はずれ」を演じなければならないし、縛りに甘んじれば、自己の欲望の所在さえわからないロボット人間(AC)と化す。このように考えてくると、これはもうアルコール依存などのローカルな問題ではなくなってくる。


そーなんだよね。激しく同感しました。この記事に。

今の私もそう。
親やまわりの期待に沿わない生き方をすれば、「あたまのおかしい奴」と言われ、
その屈辱に耐えつつ、「期待をかなえれなかった自分に罪悪感を持ちつつ生きる」

そして、親やまわりの言うことに従えば、
自分が何をしたかったのかさえわからないロボットになる。

まさに今の私だ。

屈辱と罪悪感。そして、自分がどこへ行きたいのか、よくわからない。
行きたいところがあっても行く気力もないという。

家族。ってもっといいものなはずだよねえ???

なんか悲しいよ。泣けてくる。
posted by aico at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

両親を殺した15歳の少年と私。

母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050713-00000006-yom-soci

 東京都板橋区の建設会社社員寮で先月20日、高校1年の少年(15)が両親を殺害し、部屋をガス爆発させた事件で、亡くなった母親(42)が少年のために内証で約20万円の預金をしていたことが12日、警視庁高島平署特捜本部の調べで分かった。

 少年は、両親から十分な愛情を受けていないという「思いこみ」から犯行に及んでいた。特捜本部では少年心理に詳しい専門官とともに、凶行に至るまでの心の変遷の解明を進めている。(2005年7月13日読売新聞)


この記事の15歳の少年の気持ちは、なんだかわかる気がする。
私も親の仕事が忙しくて、いろんなことを親にあきらめてきたから。
家事もやってきたよ。
でも、殺すまでは行かなかったな。


少年は「ディズニーランドに連れて行ってほしかった」とか、
「海に連れて行ってもらったとき、一人で遊んだので楽しくなかった」などという発言がある。
これは、香山さんの「生きづらい<私>たち」の中にあったんだけれども、
最近の子は、傷とも思えないことで傷ついてしまう。
傷つくセンサーが敏感になっているというのがあった。
それから、昔は虐待されたとか、親に何かされた。という訴えが多かったけれども、
最近では、この少年のように、「○○されたかったけれども、それがなかった」
という訴えが多いそうだ。

親にされたことよりもされなかったことに対する訴えが多いんだってさ。

うーん。なんでだろうね。
ひとつは、モノ豊かな時代になったからかなと思った。

昔はおもちゃとか買ってもらえなかったり、
どこかに連れて行ってもらえなくても、そういう子も多かったのかもしれないけれども、

まわりがみんなおもちゃを持ってたり、
どこか遊びに行ってたりすると、自分だけどこにもいけないのとかつらいよね。
だから、親よりもずっとそのことが精神的苦痛になるのかなって思った。

うーん。でもそれで殺されたりしたら、困るな。。。
モノや旅行=幸せではないと私は思うけれども。。。

なんとも、仕事が忙しい両親を持った彼を私は他人とは思えないのでした。
posted by aico at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・新聞記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飼い犬と同じように私を寝かす彼。

今彼と昨日別れた私。

ずっと、彼との付き合いはしんどかった。
体もぼろぼろだ。

今日ちょうど、ブログ友達が「飼い猫を病院に連れて行った」という記事を読んで、
彼が私を寝かしつけるときに、
飼ってる犬と同じ扱いをしてるのが面白かったことを思い出した。

「○○ちゃ〜ん(犬の名前)。ねんねして〜。」って私を寝かしつけるんだ。
それを思い出した。

こんなことってはじめてのことかも。
posted by aico at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 今カレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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